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子どもの最善の利益を目指して

 日本では、父母が離婚をすると子どもの親権は父母のどちらか一方に委ねられる。日本では、離婚後単独親権制がとられている。私が、このような親権制度を知ったのは小学校の頃だったと思う。もう40年も前のことである。その頃から、最近まで、そういうものなのだと思っていた。しかし、夫婦の不仲や離婚という現実の問題に直面した時に、離婚後単独親権制は「おかしい」、「何かが間違っている」ということを痛感した。

 離婚すると父母のどちらか一方(多くの場合、母親)の単独親権になるため、親権を取れずに別居する親は子どもに会えないことが多くなり寂しい思いをすることになる。身軽になって自由は増えるかも知れないが、一方の親が子どもと引き離されることが、子どものいる父母が離婚を思い止まる「抑止力」になるのではないかという微かな思いはあった。

 実際に父母が不仲になり別居をすると別居した親と子どもが会えなくなることが多い。子どもを連れて別居をする親が、子どもを不仲な親に会わせたくない気持ちは分かるが、突然、父母の一方と引き離される子どもと子どもに会えなくなる親にとっては悲劇である。

 もちろん、父母が子どもを虐待して、他方の親が子どもを連れて避難するために別居する場合などは別である。DVという問題もよく指摘されるが、DVについては、複雑な問題だと思う。口喧嘩も立派なDVになる。双方が相手に精神的苦痛を与える攻撃を繰り返すことになる。何気なく、手が出て相手を怪我させてしまうこともあるだろう。それがDVであるのかどうか、判断は難しいと思う。結局のところ、子どもと一緒にいる同居親が「被害者」、別居親が「加害者」とされることは、名実共に、多いだろう。

 このような離婚後に限らず、離婚前から、あるいは、結婚していなくても未成年の子どもがいる場合に起こる離婚後等単独親権制の弊害を目の当たりにして、初めて知ったのは、日本のような離婚後等単独親権制をとる国が先進国では日本だけだという事実である。今年4月に法務省が公表した24ヵ国の親権制度調査でも日本と同じ離婚後等単独親権制をとるのは、日本の他にはインドとトルコだけだとされている。

 離婚があるのは、もちろん日本だけではない。海外でも、もちろんあるし、むしろ日本よりも離婚の割合が高い国は多い。そんな中で離婚後も共同親権であることが国際標準になっていると言える。

 その始まりはアメリカのカリフォルニア州での共同監護法の成立だった。1979年のことだった。同じ時期にアカデミー賞映画「クレイマー、クレイマー」が上映された。仕事熱心な父親と5歳の子どもを育てる母親の結婚生活が破綻して、母親が家を出て行き、父親と子どもだけの生活が始まる。この映画が世界に子どもの親権、養育のあり方について問題提議する形となり、その後全米に、また、世界に離婚後の共同親権制が広がって行った。

 私が、離婚後の単独親権制について知った40年前の小学生時代、世界は日本と同じく離婚後の単独親権制をとっていた。確かに「そういうもの」だった。しかし、今は違う。日本は、世界に取り残されて独自な進化をした生物の住むガラパゴス諸島のようである。それが良いことなのかと言えば、決して良い事ではないと思う。

 実際、日本は世界から非難を浴びて来た。日本人にも国際結婚が増える一方で、国際離婚も増えた。相手と不仲になった日本人の父母が子どもを日本に連れ帰ることが増えた。それは、子どもを愛する親にとって普通の行動にも見えるが、国際的には子どもの「略取誘拐」に当たる。冷静に考えれば、子どもを愛するのは一方の親だけではない。もう一方の父母も同じように子どもを愛していることが多いだろう。もちろん、相手の事が嫌いになったからと言って、子どもを放置して、祖国に逃げ帰ることは出来ないだろう。自分の国に帰るのであれば「子どもも一緒に」と考えるのが普通であろう。しかし、相手と子どもとの関係はどうだろうか?大嫌いな相手が愛する子どもと会えなくなって苦しむのは、むしろ被害者意識の強い本人にとっては好都合かも知れない。しかし、それで良いだろうか?冷静に、客観的に考えれば、それで良いはずはない。

 子どもを相手から奪って逃げたもの勝ちで良いはずはない。それは、子どもの誘拐であり、他方の父母の監護・養育権、それはつまり人権の侵害である。さらには、子どもが他方の親と会い、その親に養育される権利を奪い、親子関係と直接の接触を奪う子どもに対する虐待である。しかし、残念ながら、日本では、そのようには考えられていない。それは、明治時代以前の家制度に由来する日本の伝統的な文化と深く関わる。日本では、家や家系を守るために「家」を基準に家族が形作られてきた。子どもは家に帰属する。子の父母であっても家を出れば他人である。そこでは、子どもの連れ去りというか、家に合わない父母の追い出しが容認された。子どもも含めて家族は家の長(戸主)が扶養する責任を持っていた。家を出た父母に子どもの養育の責任も義務もなかった。当然、養育費を支払う必要はなかった。

 そんな家制度が、戦後に廃止され、民法が改正され現在の離婚後等単独親権制度がある。その離婚後等単独親権制を支える「親は一人で十分」という明治時代以前の家制度に根差した価値観が温存されている以上、離婚後の親子の関係は変わらないだろう。

 「家」を守る親の権利対象として、あるいは、家という単位を基に形作られる社会を維持する公的な都合から、子どもと親との関係が決められていたが、近年では、子どもの人権や子どもの権利が尊重されているようになっている。

 1989年に国連総会で採択された「子どもの権利条約」を日本も1994年に批准している。子どもの権利条約が目指す「子どもの最善の利益」という言葉やその精神は、民法や児童福祉法などにも取り入れられているが、父母の離婚をめぐって子どもの最善の利益が守られているようには見えない。既存の離婚後等単独親権制の枠組みの中で、子どもの最善の利益がはかられているとしても、それは本当の子どもの最善の利益とは言えない。もはや、この離婚後等単独親権制、それを規定する民法第819条に縛られるべきではないだろう。

 1980年に採択されたハーグ条約では、別居親の監護権の侵害を防ぎ、親子の面会交流を促進する目的で、国境を越えて子どもが連れ去られた場合、子どもを元の居住国に返還することが原則となる。日本は、ハーグ条約への参加が遅れ、2014年に締約国となった。それまで、国際的な子どもの拉致誘拐の常習国として日本の名前が挙がっていた。締約国となって形式的には、そのような批判を避けられるが、実態としては、2018年にアメリカは日本をハーグ条約の不履行国に指定した。同年にEUの駐日大使が連名で法務大臣に子どもの連れ去りの解消を求める書簡を手渡している。今年7月8日には、EU欧州議会が、日本国内においてEU国籍を持つ子どもの連れ去りの防止を求める決議案を採択した。そこには、子どもの連れ去りが児童虐待であること、日本国内では子どもと別居親の面会交流の権利が著しく制限されている、もしくは存在しないことなど、日本の離婚後等単独親権制の弊害が指摘されている。

 日本の裁判所が、離婚後等単独親権制を維持する理由は、父母が婚姻関係にないなど、不仲な状態において、子どもについて合意することが困難または不可能だからである。しかし、アメリカ、ドイツ、フランスなどの先進国が、また、近隣アジアの中国や韓国で、離婚後も共同親権制をとっているのに、日本だけが離婚後等において父母の合意が困難または不可能などということはあり得ない。

 司法も、行政も、立法においても、仕事を怠っていると言わざるを得ないだろう。そんな問題の核心に迫ってみたいと思う。

 一日も早く、日本において、離婚後等単独親権を規定する民法第819条が改正され、父母による子どもの共同親権を可能にする子どもの共同養育制度が整備されることを期待する。

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