法務省が令和2年4月に公開した24か国の親権制度調査結果では日本と同じ離婚後単独親権制をとるのはインドとトルコだけだと明らかにされている。先進国では日本だけである。これだけ国際標準と顕著な隔たりのある日本の離婚後単独親権制が、共同親権・共同養育を原則として標ぼうしている子どもの権利条約の締結(1994年)から27年して2021年2月10日に法制審議会に諮問された。やっと離婚後の共同親権・共同養育の是非が議論され始めたことになる。
前述の24か国の親権制度調査結果を見れば世界が標準的に共同親権・共同養育を採用していることは明らかである。これだけ長期間、日本において離婚後の単独親権制が維持されてきた理由は何だろうか?耳にすることが多い反対論は、離婚する父母がDV(家庭内暴力)加害者であるもう一方の親との関係を継続しなければならなくなり負担が大きいという議論である。裁判所の見解は「婚姻関係にない父母の親権の共同行使は不可能または困難」「離婚後の単独親権制は合理的」というものである。共同親権反対論や慎重論は、離婚後に共同親権が強制されることを警戒しているようである。
離婚後の共同親権制は「強制共同親権制」ではない。離婚後も共同親権・共同養育を原則とすることが望まれるが、カナダ(ブリティッシュコロンビア州)やスペインでは、父母の合意や裁判所の決定によって父母の一方による単独親権の行使が認められている。裁判所は親権者として不適格な父母に共同親権を与えることはない。
日本では民法第834条で父母の親権喪失について、同条の2において父母の親権停止について規定している。離婚によって父母のどちらか一方の親権を剥奪する(喪失させる)のであれば、本来は、これら民法の規定に従って行うべきである。父母の自然的権利であり、また、子どもの権利とも表裏一体の親権(人権)を安易に奪うべきではない。
明治時代以前には、離婚後の父母の一方を親権者とすることが歴史的、文化的に許容されていた。携帯電話やSNSなど父母の手軽なコミュニケーションの手段がなかった時代には、むしろ、離婚後の単独親権制が合理的であったのだろう。しかし、1980年代以降の国際社会は明らかに変わっている。日本だけが、古い慣習に縛られているのは、おかしいし、許されることではないだろう。国内外の批判にまともに弁解できる状態ではなくなっている。
離婚後の親権のあり方に関してDVが問題視されることがある。親権のあり方、親子関係において問われるのはDVよりも、むしろ、児童虐待である。DVを肯定するものではないが、DVと言っても夫婦ゲンカの口論から生死に関わるような深刻なものまで幅がある。それらを子どもの面前で行うことは児童虐待となるとしても、子どもに対する虐待に当たるかを客観的に判断しなければならない。虐待を受けたとされる子どもが虐待者である父母をどう思うかも重要であろう。親から深刻な虐待を受けても親を慕う子どもはいる。親子の心理的、血縁的な絆は簡単には切れない。客観的な基準で、子どもに対する害悪を見極める必要がある。子どもが望む場合や虐待をした父母に更生の意思や努力が認められる場合などは、適切な保護の下で親子関係と直接的な接触が維持されるように配慮するべきである。
DVや虐待の認知、判断、対応等は、国際社会の取り組みを踏まえて、適切に行っていく必要がある。最高裁判所の資料によると、平成30年(2018年)の日本における親権喪失(認容件数)は28件、親権停止(同)は79件だった【※1】。これらを合計した親権制限件数(管理権喪失を含む)は、平成28年から30年まで100件前後で推移している。一方で、ドイツでは、2013年に親権を完全に剥奪された事例は7,071件、一部剥奪は7,996件だった【※2】。前述の日本の最高裁の資料では同年の親権喪失は25件、親権停止は63件だった。ドイツの人口が日本より30%以上少ないことを踏まえると日本とドイツの間に大きな差があることが分かる。一方で、日本の平成30年の離婚件数は208,333件であった【※3】。このうち6割に未成年の子どもがいるものとして試算すると現行の離婚後等単独親権制によって約12.5万人の父母が親権を失ったことになる。これは共同親権を原則とするドイツの親権喪失件数と比べると多過ぎることになるだろう。
言うまでもないことだが、日本において離婚後等単独親権制を維持することは、DV対策や児童虐待対策ではありえない。確実な対応が求められる。
日本において、離婚後の共同親権制が採用されない理由とされる「婚姻関係にない父母の親権の共同行使が不可能または困難」であることについて考えてみよう。1970年代以前は、子どもの権利ではなく、親としての権利、文字通り「親権」が問われていた時代であった。父母による親権の共同行使が不可能または困難というような議論が合理的であったのだろう。日本では高度経済成長や父母の役割分業観などによって離婚後の単独親権制の合理性が疑われることが少なかったのだろう。しかし、世界は、親の権利性ではなく、子どもの権利性に注目するようになってきた。1989年に国連総会において子どもの権利条約が採択され、日本も1994年に同条約を批准している。それから30年近くになる今、子どもの権利よりも親の都合が未だに優先されていることは国の怠惰・怠慢と言うしかないだろう。
平成3年(1991年)1月に、法制審議会(法務大臣の諮問機関)において、婚姻及び離婚制度について総合的な見直しについて審議が始まった。平成6年(1994年)7月の「婚姻制度等に関する民法改正要綱試案」では「共同親権の制度については今後の検討課題とする」とされた。平成24年(2012年)4月に施行された改正民法の附帯決議では「離婚後の共同親権・共同監護の可能性を含め、その在り方全般について検討すること(衆議院)」とされている。その後、2014年に国境を越える国際的な子どもの不法な連れ去りを防ぐハーグ条約に、同条約の採択(1980年)から34年遅れて日本は批准しているが、日本国内における共同親権・共同養育についての議論は進んでいなかった。それが、昨年(2020年)7月のEU欧州議会による非難決議等によって国際的にも厳しく突き上げられることになった。
国際社会では、子どもの教育、医療、宗教など重要な決定については離婚する父母は、裁判所を通して共同養育計画を立てることになる。父母が合意出来なければ裁判所が関与して子どもについて決めることになる。それが困難な問題であっても、世界は、子どもの最善の利益を優先して父母の共同親権・共同養育を基本的に認めている。なぜ、日本においてそれが出来ないのか?国の怠惰・怠慢でないなら、不思議という以外にない。
世界では、父母による共同親権・共同養育において、父母が全く同じ役割・機能を果たすと言うよりは、まず、父母が子どもの監護・養育に対して責任を共有することが重視されている。子どもの教育、医療、宗教など重要な問題は父母の合意によって決めることになる。この「法的監護権」と言える子どもの重要事項決定権を父母が共有することが、共同親権・共同養育の基本と言えるだろう。法的監護権の共有に不適格な親などは親権を失い、父母の一方による単独親権となる。それでも、親権を持たない親(別居親)と子どもとの親子関係や直接的な接触が維持されるように相当な配慮がされている。
このような法的監護権を共有した上で、実際に子どもと一緒に暮らして日々の生活の世話をする監護権(身上監護権)を父母の間で分担するか、父母の一方が引き受けるのかが問われる。日本のように、離婚後単独親権制が長く採られてきて、男性の育児休暇の取得が進まない社会では、身上監護権を子どもの母親に委ねる事例が多いかも知れない。実際に、共同親権・共同養育が導入された1980年代のアメリカでは、法的監護権が父母で共有されても母親が単独で身上監護権を持つ事例が多かった(マコウビーとムヌーキンの実態調査)。もちろん、父母が共同で法的監護権と身上監護権を持つことも出来る。父親が単独で身上監護権を持ち、法的監護権を父母で共有する場合や父親が単独で持つ場合もある。
共同親権・共同養育が日常となっている国際社会では、父母と子どもが一緒に過ごす親子の時間の分担が進み、子どもが父母の家に交代で住む、あるいは、子どもが住む家に父母が交代で住む「交代居所」などの制度が整備されている。
《参照》
【※1】最高裁判所事務総局家庭局、親権制限事件及び児童福祉法に規定する事件の概要 平成30年1月~12月
【※2】日本社会福祉事業大学社会事業研究所、社会擁護制度の国際比較に関する研究 調査報告書 第2報 平成27年3月
【※3】厚生労働省、令和元年(2019)人口動態統計の年間推移
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