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アメリカ:世界の離婚後共同親権制は40年前にカリフォルニア州から始まった

 アメリカでも日本と同じように離婚後に父親に親権を与える時代があった。その後、父親の絶対的優位が修正され、20世紀になると母親優先が判例法によって確立していった。州によって違いはあるものの平均して85%近くの場合、母親に単独監護権(親権)が与えられるようになった。 このような 母親優先の原則 の背景には、 乳幼児期の原則 (tender years doctrine)と呼ばれる不適格な母親でない限り、3歳以下の乳幼児においては母親が優先されるという考え方があった。このような母親優先の考え方は、母親神話を生み、性役割分業観に基づく生活実態に支えられた。  しかし、1970年代から1980年代にかけて男女の役割分業観に変化が生じ、男女平等が本格的に進むと乳幼児の推定原則や母親優先の原則は批判され、性的に中立な「 子どもの最善の利益 (the best interests of the child)」が重視されるようになった。  それでも母親優先の原則が根強かったのは、子どもが3歳以下の場合に監護者になりたいと答える父親がいなかったことや「 同胞不分離の原則 」によって3歳以下の子どもがいる場合は、父親が、その兄弟姉妹の監護者になることを望んでも、同胞不分離の原則によって子ども達全員の監護権が母親に委ねられるという現実があったからである。  母親優先の原則が根強かった1970年代の論争として有名なのがゴールドスティンらの主張とそれに対する反論である。ゴールドスティンらは「子の最善の利益を超えて」という著書の中で、子の監護紛争では継続性を重視すべきだとした。子どもの健やかな成長発達のためには養育環境の安定こそが重要であり、子どもは大人のように待つことはできず、時間的感覚が違うので、子どもが現在または将来密着した関係を築く「心理的親 (psychological parent)との関係を尊重しなければならないとした。ここでは実の親よりも心理的親子関係を形成している大人を指定し、養育環境の継続性を重視した。それは、現状が落ち着いていれば変更する必要はないと受け止められ、多くの批判を浴びた。  ゴールドスティンらは「 法的制裁を加えてまで行わせようとする面会交流のあり方はおかしいのではないか 」という問題も提議をした。これに対して「 両親が別居・離婚して、監護権が一方の親に委

ドイツ:離婚後単独親権制は違憲

 日本の民法とドイツの民法(BGB)は構造が似ている。日本の民法は、明治時代にドイツやフランスの大陸民法の影響を強く受けて起草されている。  ドイツでは、1979年に民法(親権法)が改正されて、それまでの 親権 が、 親の配慮 という表現に置き換わった。 親の権利ではなく親の責任や義務を明確にするためである。この時、ドイツでも現在の日本と同じ離婚後単独親権制が定められた。正確に言えば、ドイツでは離婚後の単独親権(配慮)制度がとられていたが、法改正後も離婚後単独配慮制が継続することになり、それが日本と同じように 例外のない 規定であることが強調された。 【BGB1671条 親の離婚後の親の配慮】  (親権法の全面改正後)  父母の婚姻が離婚されるとき、家庭裁判所は、父母のいずれに共同の子のための親の配慮が帰属すべきかを決定する。  裁判所は、子の福祉に最もよく合致する取決めを行う。この場合、とくに父母や兄弟姉妹に対する子の絆が顧慮されなくてはならない。  子の福祉のために必要であるときにのみ、裁判所は、父母の一致した提案とは別の判断を下すものとする。満14歳になった子が、異なる提案をするときには、裁判所は2項にしたがって裁判する。  親の配慮は、父母の一方に単独で委ねられなくてはならない。子の財産上の利益が必要とするときには、財産配慮は、全面的もしくは部分的に父母の他の一方に委ねられなくてはならない。  子の福祉にとっての危険を回避するために、必要があるときには、裁判所は、身上配慮および財産配慮を後見人もしくは保護人に委ねることができる。  この改正で問題にされたのは、BGB1671条4項に規定されていた「 原則として 」という文言が削除されたことである。このため法律の文言上、例外として離婚後の親の共同配慮が認められる可能性を排除することになった。このため離婚後の親の配慮は、名実共に 例外なき単独配慮 となった。  その他に、次のような点が注目される。1)共同配慮であっても条件が整えば子の利益に合致するという見解が強く主張されるようになり立法課程でも吟味された。2)何が子の福祉に合致するかという判断において、子にとっての特定の関係人との絆が顧慮されなければならないとされた。3)子(満14歳以上)の意思を尊重する規定が設けられた。   1979年改正法(1980年施行)

家制度:戦後の家制度の廃止と民法改正

 日本において離婚後等単独親権制が定められたのは、明治時代である。明治31年(1898年)に施行された明治民法では 家制度 という家族のあり方が規定された。 家 は、 家族 と 戸主 (家長)で構成された(明治民法第732条)。 戸主は、家族に対して扶養の義務を負った (同第747条)。  戸主は、原則として男性だった。そして、戸主には、次のような 戸主権 があった。 1.家族の婚姻・養子縁組に対する同意権 2.家族の入籍または去家に対する同意権 3.家族の居所指定権 4.家族の入籍を拒否する権利 5.家族を家から排除する(離籍)権利   戸主は、このような家族に対する絶大な権限を持つ一方で、家族は戸主を敬い、戸主は家族を扶養する義務を負っていた。このようなことから、離婚後等単独親権制との関係で次のようなことが言える。 1.子どもは、必ずしも父母ではなく、戸主に扶養されていて、「家」に帰属していた。 2.戸主の権限によって、家に合わない子の父親または母親を自由に追い出すことが出来た 【子どもの連れ去り、父母の追い出しの容認】 。 3.家を出た子どもの父母は他人であり、子どもを扶養する必要はなかった。子どもの扶養義務は戸主にあった 【家を出た父母(別居親)による子どもの養育費の免除】 。    これが家制度を起源とする離婚後等単独親権制の実態である。家制度自体は、戦後に憲法が施行され、個人の尊重や男女の平等などにおいて憲法に反し、廃止された。民法は改正されているものの、現在でも、ひとり親家庭における子どもと別居親との面会交流の実施率は3割程度、養育費の支払いを受けている割合は2割程度である。このような実態は、離婚後等単独親権制の運用において家制度の影響が色濃く残っているためだと言える。    戦後、憲法が施行され民法が改正され家制度は廃止された。ここでは、離婚後等単独親権制との関りで、特に 養育費 と 面会交流 に関して、どのような民法改正がされたのかをみてみたい。  戦前、家を出て他人となった父母に子どもの扶養の義務はなかった。そのような家を出た父母に子どもの扶養の義務を課す法律として民法第877条が戦後制定された。他にも民法では、親族間の扶け合い(第730条)や夫婦の同居、協力及び扶助の義務(第752条)などが定められているが、離婚によって夫婦でなくなった、あるい

日本における離婚後等単独親権制(民法第819条)と民法上の親権

 父母が離婚をすると子どもは父母どちらか一方と生活することになる。世界では、必ずしもそうではないのだが、日本では、特別な事情がない限り、父母の一方が子どもの面倒をみることになる。このような離婚後における父母のどちらか一方による子どもの監護・養育、つまり離婚後単独親権制は、民法第819条で定められている。 民法第819条   1.父母が協議上の離婚をするとき、その協議で、その一方を親権者とさだめなければならない。 2.裁判上の離婚の場合には、裁判所は、父母の一方を親権者と定める。 3.子の出生前に父母が離婚した場合には、親権は、母が行う。ただし、子の出生後に、父母の協議で、父を親権者と定めることができる。 4.父が認知した子に対する親権は、父母の協議で父を親権者と定めたときに限り、父が行う。 5.以下省略   離婚をすると父母のどちらか一方が子どもの親権を持つことになる。なお、この民法第819条は、「離婚後等単独親権制」と表現出来る。同条第3項、第4項では未婚あるいは非婚の状態の父母の間の子どもの単独親権を定めている。さらに言えば、離婚する前に父母が別居している状態でも離婚後の単独親権制は実質的に前倒しで適用されることになる。このように、父母の様々な状態に対応するため、特に離婚後に限定する場合を除いて、ここでは「離婚後等単独親権制」と呼ぶ。  注意が必要なのは、この離婚後等単独親権制には例外がないということである。父母の合意があっても、法律上は、離婚後等には単独親権しか認めらないということである。極端な言い方をすれば、それは「離婚後等強制単独親権制」なのである。法律的には、一律に単独親権となるため、父母の関係が比較的良好な場合以外には、父母が協力して子どもを養育することは困難となる。  なお、父母が離別する理由は様々である。不倫もあれば、純粋に性格や価値観が合わずに男女がすれ違うこともあるだろう。DV、児童虐待、飲酒、ギャンブルなど男女の一方の問題によって関係を損ねる父母がある一方で、男女のどちらかに責任を問えないような破局もあるだろう。  日本では「夫婦別姓」を実現するためになどに書面上結婚して、離婚する実質婚の夫婦もいる。そのように関係が良好な父母の間では、日本でも離婚後等において共同親権・共同養育を実質的に実現している例はあるようである。また、高学歴の父母などに

子どもの最善の利益を目指して

 日本では、父母が離婚をすると子どもの親権は父母のどちらか一方に委ねられる。日本では、離婚後単独親権制がとられている。私が、このような親権制度を知ったのは小学校の頃だったと思う。もう40年も前のことである。その頃から、最近まで、そういうものなのだと思っていた。しかし、夫婦の不仲や離婚という現実の問題に直面した時に、離婚後単独親権制は「おかしい」、「何かが間違っている」ということを痛感した。  離婚すると父母のどちらか一方(多くの場合、母親)の単独親権になるため、親権を取れずに別居する親は子どもに会えないことが多くなり寂しい思いをすることになる。身軽になって自由は増えるかも知れないが、一方の親が子どもと引き離されることが、子どものいる父母が離婚を思い止まる「抑止力」になるのではないかという微かな思いはあった。  実際に父母が不仲になり別居をすると別居した親と子どもが会えなくなることが多い。子どもを連れて別居をする親が、子どもを不仲な親に会わせたくない気持ちは分かるが、突然、父母の一方と引き離される子どもと子どもに会えなくなる親にとっては悲劇である。  もちろん、父母が子どもを虐待して、他方の親が子どもを連れて避難するために別居する場合などは別である。DVという問題もよく指摘されるが、DVについては、複雑な問題だと思う。口喧嘩も立派なDVになる。双方が相手に精神的苦痛を与える攻撃を繰り返すことになる。何気なく、手が出て相手を怪我させてしまうこともあるだろう。それがDVであるのかどうか、判断は難しいと思う。結局のところ、子どもと一緒にいる同居親が「被害者」、別居親が「加害者」とされることは、名実共に、多いだろう。  このような離婚後に限らず、離婚前から、あるいは、結婚していなくても未成年の子どもがいる場合に起こる離婚後等単独親権制の弊害を目の当たりにして、初めて知ったのは、日本のような離婚後等単独親権制をとる国が先進国では日本だけだという事実である。今年4月に法務省が公表した24ヵ国の親権制度調査でも日本と同じ離婚後等単独親権制をとるのは、日本の他にはインドとトルコだけだとされている。  離婚があるのは、もちろん日本だけではない。海外でも、もちろんあるし、むしろ日本よりも離婚の割合が高い国は多い。そんな中で離婚後も共同親権であることが国際標準になっていると言える。  その